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デンちゃんに会ったのは、2006年の夏、日中の最高温度が37度まであがった日だった。 その日はうだるように暑かったが、私は退社後めずらしく、寄り道をし、大きな買い物袋を下げていた。
暑さの中、よろよろ自転車をこぐ。夜8時を過ぎても、アスファルトやコンクリートにこもった熱でとにかく暑い。東京などに比べると名古屋は木陰をつくる街路樹も少なく、地面が土だったら埃も立つだろうけど、もう少し涼しいんだろうなぁと思いながら自転車をこぐ。
途中、勢いつけてペダルをこがないと自転車から降りるはめになる穏やかな坂がある。坂の途中には、「おでん」と描かれた大きな暖簾が立てかけてある飲み屋がある。
こんな暑い日におでん食べに来る人がいるのだろうかと思いながら、ふとおでんやの看板付近に目をやると、ツタの這う壁にうずくまっている黒っぽい物体が目に入った。おやっと思い、自転車を止め、近寄ってよく見てみる。
猫だった。かなり汚い。そして骨皮状態であった。
死んでいるかと思ったが、じっと覗き込むとうっすら目を開け、私を見るその目からかすかに光を放っていた。どうしようと思った。
足早に家路を急ぐOLや会社員のおじさんたちを横目でみながらどうしようかと私はオロオロし始めた。 ここまで弱っている動物を置き去りにするのも不憫だと言う私と、面倒なことになるかもよ、と力なく抵抗 する二人の私に挟まれた私はおでん屋の前で少々途方に暮れた。
結局、置き去りにする勇気もなく、近くの薬局に飛び込み、ダンボール箱をもらった。
ほとんど抵抗もできない痩せた猫の前に座り込み、様子を見ながら首を恐々猫つかみし、段ボール箱に入れた。まだ生きているのが気の毒なくらいだった。自転車のかごの上にそっとダンボールを置き、片 手で抑えながら、家まで慎重に自転車をこいだ。買い物袋が邪魔になった。買い物などしなければよ かったと思ったが、していなかったらおそらくこの猫に出くわすタイミングを逃していたかもしれなかった。
家から動物病院までは車でどういそいでも20分はかかった。信号待ちの度に全身を突っ張らせているネコの体に触れてみた。
冷たく硬かった。目を開けたまま、死んだのだと思い、家へ引き返そうと思った。
すでに病院近くまで来ていたので死んでいるのかどうか
先生に診てもらってから引き返してもよいと思い、そのまま病院へ向かった。知り合いから紹介してもらった病院の先生には電話であらかじめ手短に話は済ませておいた。
診察台の上にダンボール箱を置き、蓋を開ける。ネコはまだ虫の息で生きていた。
さすがの先生も猫を見て驚いた様子だった。
皮下点滴と抗生剤を投与してもらった。「心音が非常に低く、今日が峠です」と先生。 全身が砂まみれの骨と皮しかない体は、ひどい皮膚病になっていて、ところどころ毛が抜け落ち大きなかさぶたができていた。のみやしらみもたくさんついていた。
恐らく、これほどひどい状態の猫を先生も見たことがなかったと思う。ピカピカの動物病院には非常に似つかわしくない有様の猫だった。
猫はおでんやで拾ったのでデンちゃんと名付けた。皮下点滴のおかげで、獣医さんの予想に反し、成猫なのに2.5kgしかないデンちゃんは虫の息でその夜、峠を越した。私は妙な確信があった。おそらく今日は峠にならないだろうと。。確固とした理由は無かったが、やはり私の予想通り、デンちゃんは次の日も生きていた。そしてその次の日も生きていた。
私はデンちゃんを家で保護することにした。家の猫たちにしらみやのみがうつっても困るので、浴槽の上にケージを置き、デンちゃんをいれ、シーツで回りを覆った。私の住むアパートは非常に古く、浴槽がきちんと固定して設置されていない。だから夏の間はほとんど、浴槽を使うことがない。
白黒猫のデンちゃんは、頭と耳の部分だけ黒く顔は白かった。いつも大きな丸い目は伏せ目がちで、泣き声も小さいおとなしい猫だった。
尻尾は長く、状態がこんな風でなければたいそうかわいい猫に違いないと思った。
えさをケージに入れると、最初は知らん振りをした。私の姿がなくなると、カリカリの上に置いた缶詰だけいそいで食べる。痙攣を起こしたように、頭を上下に振り、えさを咥える。お水も、馬のように飲んだ。下半身は不随で、満足に立つことができない猫だった。トイレに行くときは、前足だけで歩き、後足をバタバタ引きずった。しんどそうだった。今考えると、トレイ砂など置かず、ペットシーツだけ敷いておけばよかったと思う。
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保護したての頃のデンちゃん |
えさを食べている様子を見ようと覗き見ると、食べるのをぴたりと止める。私が隠れると、またいそいで食べ始める。ノラ猫の習性か。こういうとき、口の利けない小さな生き物をいとおしいと思う。
翌々日、会社から帰ると、また動物病院へデンちゃんを連れて行った。「ご飯食べます」と先生に告げると、普段あまり感情を表に表さない先生が驚いた表情でえさ食べましたか。。と言った。その日も皮下点滴をしてもらった。処置後、先生から、元気になって手が付けられないような野良猫になったらどうしますか?治療費どのくらい考えていますか?と聞かれた。
ある日、このネコが凶暴なネコに豹変するのだろうか?急に心配になった。
費用の話は、返答に困ったが、その場で考えてもわからないので、「わかりません。」と答えた。その日も皮下点滴をしてもらった。点滴をされるとデンちゃんは少し気分が良くなるようだった。1回3000円ほどの治療代だった。
翌朝はえさを食べたが、その夜からえさを食べなくなった。じっとケージの中で箱すわりをしたままいつものように小刻みに首を上下に振り、うつろな目で一点を見つめていた。デンちゃんの目を覗き込む。私はため息をついた。
どうしてご飯食べないの?どこが痛いの?返事が聞きたい。デンちゃんの目をまたじっと覗き込む。かわいそうなデン。
家で飼うか、元いたところに戻すか、里子に出すか、そんな心配は治してあげてから考えればいい。
私の猫友達のアドバイスは適格だ。彼女の家にはネコが14匹いる。数だけ聞いてもすごいと思うが、もっとすごいのはだんなに内緒で飼っていると言ってのけることだ。
どうやって隠しきれるのかいつも不思議で、家の外観だけは見ているが、お招きされたことのないその家の間取りを想像しては首を傾げる私だ。
インターネットで「猫 脳障害」と検索すると、脳に障害を持った猫をMRI検査し、治療後、生還した猫のことが紹介されていた。休診日だったその日の翌日、また会社から帰宅後、病院へデンちゃんを連れて行った。食欲がないと先生に告げると、先生は今日も皮下点滴を打ってくれた。
そして、物静かな口調で、点滴治療を続けるならうちよりも、近くの獣医さんへ連れて行った方が便利ではと転院を促した。近くの獣医さんは診療時間以外は診てくれないので不安ですと言うと、そういう時は私が診ますと言ってくれた。近くの獣医さんは、診察時間が少しでも過ぎると電話にも出てくれない。 今考えると、根本治療をするつもりがないなら、あまり積極的に診たくないという気持ちが先生にあったのだろうか。そこまで言われては連れてゆくのもなんとなくはばかられた。
保護をして1週間後、近所の病院へデンちゃんを連れて行った。先生に事情を話すと、先生は血液検査をし皮下点滴を投与した。検査の結果、エイズも白血病も陰性だと判明した。弱った体から血を採取するのを見るのがつらかったが、原因がわからなければ治療のしようがない。先生の言うことも理解できた。
転院先の先生は、白い粉グスリをくれた。この薬を飲んで、数時間後に変化が見られなければ、別の薬をくれるということだった。薬を飲ませ、期待して待ってみたが時間が経過しても変化は見られなかった。どんよりした目で一点を見つめるデンちゃん。
翌日の仕事帰り、別の薬をもらいに病院へ寄った。今度は自律神経に効くというオレンジ色の粉薬をもらった。飲ませた後、体が少し柔らかくなり、暖かくなるかどうか観察してください。と先生が言う。家に帰ると、お腹すいたーと寄ってくる自分の猫たちを蹴散らし、かばんから貰ったばかりの薬を早速取りだした。水で溶き、シリンジに吸入する。嫌がるデンちゃんをひざに抱え、一滴も無駄にしないよう、早業で確実に口に入れた。
我ながら獣医師に負けないくらいの手際の良さだった。この頃になると、ガリガリの汚れた猫を腕に抱きかかえることに対する抵抗は無くなっていた。最初は汚いものに触る嫌悪感があったが、その気持ちは、壊れたらどうしようという心配から来る怖さに変わっていた。
薬を飲ませた後、10分おきにデンちゃんの体に手を当てた。薬が効きますようにと念じながら手を当てた。1時間もすると、微妙に体が温かくなり、弾力も少し戻っているように感じた。私は自分の異常な期待が錯覚を起こさせているのではと思い、今度は左右の手で慎重に触ってみた。
やはり体は適度に温かく、デンちゃんの目にも輝きが少し戻ってきているのが確認できた。瞳に輝きが戻った目でデンちゃんが私のことをじっと見つめた。奇跡が起ったと思った。大喜びしながら病院のレシートに目をやる。薬代はたったの200円ぽっち。3000円の点滴より、これほどの効能があるこのオレンジ色の粉薬の方がどうしてこんなに安いのか。もっと薬をくださいと翌日また病院へ足を運んだ。
今考えると、あの粉薬を投与しながら、えさを与えていれば、デンちゃんはもう少し生きながらえていたかもしれないと思う。 もっといろいろな種類の猫缶を食べさせてあげられたかもしれないと思う。そう考えるとつらくなる。
近所の病院に移ってからしばらくすると、例の猫友達とまた電話で話す機会があった。デンちゃんの病気の経過を細かく話した。神経系統の病気なら昭和区にあるxx病院の先生に診てもらってはというアドバイスだった。気難しい面もある先生だが腕はかなり良く、ノラ猫だからといって飼い猫と区別はしない先生だという。気難しかろうが、費用が多少かかろうが、毎日首を上下に振りながら一生懸命餌を食べようとするデンちゃんを見ていたら、その名医に診てもらいたいという気持ちが強くなっていた。いくらかかるか検討もつかないが、MRIをしてくださいと頼むつもりで出かけた。いざと言うときは月賦の相談もしてみよう。と腹をくくった。
いまだに土で汚れた痩せた体にはシラミの卵がふんだんについていたが、タオルにデンちゃんを包みキャリーケースに入れ、昭和区のXX先生まで連れて行った。
病院へ入るとそこはなんだか美容院みたいだった。壁の白と赤の装飾、壁には赤いハートの装飾品が飾られ、カウンターの上には、蘭の鉢とイモリの小物が置かれていた。その日は待合室に誰も待っていなかったので、一瞬、美容院へ入ってしまったのかと思い、受付の女性に「ここは動物病院ですか?」と聞いてしまった。今考えると相当緊張していたと思う。パーマ液の匂いさえしないのに美容院であるわけがない。
「はいそうです」と表情の硬い女性が答える。今は、私が話せば恥ずかしそうに笑ってもくれる人だが、初めて会ったときは、マネキンのような感じの女性と思った。 受付終了時間を10分ほど遅れていたので、気分を損ねたかと少しもじもじしていると、中から一転して、元気の良い若い女性が出てきた。 ムーミンに出てくるミーと同じ髪型をしているその女性は頭のてっぺんで束ねた髪の分だけ一層背が高く見えた。私のキャリーケースを覗き込む。デンちゃんの状態を見てもひるむことなく、元気よく「猫ちゃんですね」と言いながらさっさと診察室へキャリーケースを運んでいった。
私は、受付の女性から記入するよう言われた紙にまだ必要事項をもたもたしながら書いていた。その間にキャリーケースは治療台の上に置かれ蓋が取られ、まぶしい電球の下にデンちゃんの姿があらわになった。先生たちが一瞬どういう反応をしたのか私は見ていなかったのでわからないが、驚いたと思う。
ようやく必要事項を書き終えた頃、奥から先生が「この猫はあなたの飼い猫ですか?」と聞いた。先生とは初対面である。 飼い猫をここまで放っておく飼い主がいるのだろうか。一瞬、何と言う質問かと思ったが、そういうこともあるかもしれないと思い、 「いえちがいます」と答え、事情を説明する。会社帰り、家の近くのおでんやさんで死にそうになっていた猫を連れ帰ったと話した。
おでんやと言うと、側にいた女性のスタッフたちがクスリと笑った。この猫を見て笑えるんだと妙な気分になった。 治療の経過、転院、クスリのことなどを話すと、先生はレントゲンを撮ってもいいですか?と聞いた。「はい」と答えると、先生は薄汚れたデンちゃんを、大事そうにさっと両腕に抱え、レントゲン室へ向かった。細身でゆっくりとした口調で話す、鋭い目をした先生だ。
レントゲンができあがるまで待合室で待った。デンちゃんを保護してそろそろ2ヶ月になろうとしていた。暑さも朝夕はだんだん薄らいでゆく頃だった。 待合室の椅子に座り、ボーっとしながら先生から呼ばれるのを待った。待合室はエアコンが効きすぎて少し肌寒かった。
レントゲンの結果が出て、治療室へ呼ばれた。デンちゃんは相変わらず電球の下にキャリーケースごと置かれていた。 先生は、レントゲンの結果をパソコンの画面に映しだした。「骨に異常があります」と先生。いくらネコが猫背と言ってもこれは尋常じゃない。と言う。 普通の猫の蝶骨とデンちゃんの蝶骨を比較し、蝶骨に異常があり、下半身は生まれたときから付随だったと言う。 一瞬息を呑んだ。先天性の奇形猫?
少しおいて、あるひとつの質問が浮かんだ。これまで診てくれた先生たちからは、デンちゃんの推定年齢は、7歳、と聞かされていた。そんな歳になるまで路上で下半身不随猫が生きてこられたのだろうか?
先生はデンちゃんの目を検査しながら静かにこう答えた。「消耗が激しい猫は、実年齢より歳をとって見えるんです。1歳かおそらく2歳に満たないと思われます。」
私自身も先に言われた先生たちの推定年齢に疑問を感じ始めていた。クスリを飲ませるため、ひざの上に抱えるたび、外見は汚れているが若いネコの気がしていた。毎日世話をする者の方がわかることもある。 目にライトを当ててデンちゃんの目を診ていた先生は、右目も見えていないようです。と言った。左目だけがかすかに見える。なるほど餌や水を飲むとき、いつも鼻で匂いを嗅いでから口に運ぶしぐさの意味がわかった。
その日は注射を数本打ってもらった。先生はクスリをくれず、次回来るときは自宅で点滴が投与できるようやり方を教えますと言った。そしてこう聞いた。 「こういう症状の猫は治療に期間と費用がかかりますが、どのくらいをお考えですか」と。最初の先生からの質問と同じだったが、同じ質問のように聞こえなかった。また「わかりません」と答えたが、答えながら、この先生に任せようと思った。
帰り道、なんだか悲しくて泣けてきた。1歳少しのネコが7歳に見えるなんてひどすぎる。このネコが一体何をしたのか。木に登ることも思い切り走ることもできなかったネコがいくつの夏や冬を越したのか。あの暑いコンクリートの上で身動きもできず、じっと横たわって私が来るのを待っていたのだろうか。望んで野良猫として生まれてきたかったわけでもなかろうに。
信号待ちで涙をぬぐいながら、デンちゃんを家まで連れ帰った。
食べないと衰弱しますと聞かされ、その日以来、朝晩、嫌がるデンちゃんをタオルで包み腕に抱え、療養食をシリンジで口へ入れた。とても嫌がったので何度もくじけた。嫌がるデンちゃんを見るのは辛かった。なるべく匂いの強い猫缶を与えたが、やがて、少し調子の良い日は白身の缶詰なら少しだけ自分から口に入れることがわかった。家の猫たちがえさを食べているのをみると、舌の先を少しだけ口からのぞかせた。食べたいのだと察し、そういう時は、食べやすいように浅い皿にえさをてんこ盛りにして首を垂らせばすぐ餌が食べられるように工夫した。餌の横にはこぼれない程度に水を入れた容器を置いた。
仕事のない土日はなるべく短い間隔で餌を与えようとした。
その週末、妹と小学校1年生の姪が家に遊びにやってきた。週末はよくやってくる。私はデンちゃんをお風呂にいれることにした。 妹はこんな弱ったネコをお風呂に入れるなんてと反対したが、病院の先生からぬるま湯で汚れを取ってあげてくださいと勧められたことを話した。本来きれい好きな生き物なので清潔にした方が良いと言う。
洗面器とバケツにお湯をはり、少量のシャンプーをデンちゃんの体にすり込むが、汚れが強すぎ泡が全然立たない。シャンプーをもっと足す。はられたお湯はすぐに赤茶色くなった。シャワーで濯いでタオルに抱え浴室を出る。濡れた毛のデンちゃんは痩せて一層病的に見え、妹はその姿をみてしり込みしてしまった。怖くて触りたくないと言う。まるで鶏がらのようだった。仕方ないので姪と2人でドライヤーをあてて急いで乾かした。乾かすとケージに移し、お水の入った容器をデンちゃんの前に置いた。
少し水を飲むと、きれいになったデンちゃんは、気持ちが良いのかトロンとした表情で目を細め始めた。入浴はやはり正解だったようだ。そのままうとうと昼寝を始めた。
月曜の夜、デンちゃんを病院へ連れて行こうとすると、デンちゃんが嫌がって抵抗した。こんなことは初めてだった。 車中もずっと泣いていた。おとなしいデンちゃんがそんなに泣くのも初めてだった。今考えると、行きたくなかったのだと思う。
病院に着くと先生が、「今日はお預かりしてもいいですか?」と聞く。平たくなった細い血管に針を入れ、私が家で点滴ができるようにしてくれると言う。先生も私も助けようとした姿勢からの判断だった。
「明日迎えに来るから」とデンちゃんの耳元に大きな声で話しかける。
本当は明日迎えに来るから絶対死んでは駄目だよと言いたかったが、先生たちの手前それを言うのが憚られた。先生は万が一の場合は、携帯に電話をくれると言った。その夜はデンちゃんを病院へ残し、一人で帰った。病院はエアコンが効きすぎていて寒かった。
低体温のデンちゃんにもっと暖かい毛布を持ってくれば良かったと悔やんだ。
その夜、妙な夢を見た。ある日気がつくと、私の口の中におできができていた。おできは既に自分の体の一部となっており、それまでそのおできに自分自身が気がつくことはなかった。ただ、何かの拍子に気がついてしまった。私は急に異物感を感じ、手を入れてそのおできをつまむ。おできはぽろんと取れ、小さなボタンサイズのそのおできを陽にかざすが、何なのかさっぱりわからず。舌でおできのあった部分に触れると、何もなかったようだった。夢の中で、あのおできは一体なんだったんだろう考え込む自分がいた。
おできが取れた夢は、デンちゃんが元気に戻ってくるという知らせだと解釈した。冬には体を陽に当て日向ぼっこをし、私は横たわっているデンちゃんの背中に顔をうずめ、干した毛布のようなよい匂いを嗅げるかも知れないなどとうれしい想像をした。
翌日は、トイレへ行くときも携帯を持ち歩いた。先生からの万が一の電話はなかった。
帰宅すると急いで病院へ向かった。待合室は相変わらずエアコンが良く効いていた。他の患者さんが全部帰った後、デンちゃんは病院の奥の部屋から診察台の上にキャリーケースごと置かれた。その瞬間、デンちゃんの瞳孔が開いたままとなった。先生が慌てた口調でこう言った。さっきまで大丈夫だったが、私が病院へ入ってすぐデンちゃんの瞳孔が開きっぱなしになったと。
先生の声をよそにデンちゃんを覗き込んだ。開ききったその目を見た瞬間、今晩が本当の峠になると予感した。力が抜けた。そして昨晩の夢の解釈がまったく見当違いだったことに気付かされた。
ごめんね。デンちゃん。助けようと努力したつもりだったが、猫には負担だけを強いる結果となってしまった。ここへ最後に連れてくる日、車の中でいつもおとなしいデンちゃんが激しく泣いたことを思い出す。先生が細心の注意を払って丁寧に入れてくれた点滴用の針が自分の胸に刺さっているような気がした。
「今日はこのまま連れて行ってください」と先生。「先生、点滴の方法は?」と力なく私が聞くと、ここまでもったのは奇跡のようなものです。と先生も力なく言う。
家に連れ帰り、冷たいデンちゃんの体を持ち上げ、私のパジャマとタオルを敷き、新しいホカロンを入れた。病院のものではなく、自分が身につけていたものを触れさせていたかった。 口の周りを水で湿らせようとすると、瞳孔の開いたままのデンちゃんは嫌がって首を横に振った。もうしてやれることはないと無力さを感じた。
デンちゃんは私との約束は守ってくれたと思った。生きている間に家まで連れ帰れた。ありがたかった。病院で死なせるようなことはしたくなかった。たったの2ヶ月しかいなかった家でも、この家で死なせてあげたいと思った。
私がいる場所がデンちゃんの家だと言いたかった。目に見えない力がデンちゃんを私から確実に取り去ろうとしていた。その力の前で私はもう抵抗ができなかった。
いつまで続くかわからない看病に疲れ、おできのような面倒な存在と思い始めていた自分の気持ちがあの夢を見させたのだと思うと、申し訳なく、涙が出た。 デンちゃんに話しかけながら、顔を摩った。目をずっと開きっぱなしのデンちゃんの呼吸がその晩10時を過ぎた頃から荒くなり始めた。 かわいそうなデンちゃん。 呼吸が一層荒くなるデンちゃんを前に私はただ泣きながらオロオロするしかなかった。 私は自分の寝床の横にデンちゃんを置き、横になった。
早朝、デンちゃんは目を開けたまま息を引き取った。保護してほぼ2ヶ月。2ヶ月ぽっちの看病だった。
小さな生き物が最後まで必死に生きようとする姿を目の当たりにした2ヶ月だった。デンちゃんは瀕死の状態が続いてもほんの少し気分が優れれば一生懸命餌を口に運んだ。私と知り合う前は おそらく時には生ごみを漁り、自由にならない後ろ2本足を引きずりながら車や人から自分の身を守ったはずだ。
生き物は与えられた命を一生懸命生きる。デンちゃんはそれを私に見せつけた。 全国の処分場ではわざわざ人によって持ち込まれたたくさんの命が、今でもボタン一つで簡単に奪われている。 生きる権利を強引に根こそぎ取り去るこれほど残酷な行為が、いつまで許されるのかと思う。
でんちゃんの命日の9月20日がもうすぐまたやってくる。でんちゃんに逢えて良かった。
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